005:

「ねぇ、日曜日空いてる?」  彼女は最近付き合い始めた彼に、学校の帰り道そう声をかけた。  彼はう〜んと少し悩んだ挙句、空いてるよと答えた。 「何か、予定あった?」 「ううん。釣りに行こうと思ってたんだけど別に違う日でもいいし。会えるよ」  彼女が彼を見上げると、彼は優しい笑顔を下ろした。  付き合いはじめる前から、彼女は彼が釣り好きだということは知っていた。 「あ、いいよ。別に無理しなくても」  彼女が急いで両手を振るといいんだよ。と彼は言った。  彼女はちょっと黙ったが、すぐに満面の笑みを彼に見せた。 「あ、分かった! あたしもついてくよ。何処でやるの?」  え?と彼は少々戸惑った表情を浮かべた。 「でも……」 「やっぱ、あたしがいちゃダメ?」  ううん、そうじゃないと彼はすぐに否定した。  そしてゆっくりと付け足す。 「別に、来てもいいけど……たぶん退屈だと思うよ?」  彼女は胸を張る。 「大丈夫だって……で、どこでやるの?」 「海まで出る」 「海?」 「そう。海。電車に乗れば40分くらいでつくんだよ」  彼は楽しそうに語る。  それを聞いている彼女もひどく楽しそうだった。  初々しい空気が流れる。 「俺の釣り仲間にね、船を持ってるおじさんがいるんだ。その人と一緒に船で海にでるんだよ」  へぇ〜すごいっと彼女は目をキラキラさせた。  日曜日。  午前4時に駅に集合して、二人は電車に乗り込んだ。  釣竿を持った彼の隣には彼女。  ぴったりと寄り添うように座っている。  彼の言ったとおり、40分くらいで目的の駅までついた。  駅を出ると潮の香りが漂ってきて。  港まで行くと、彼の知り合いのおじさんに出会った。  3人でその船に乗り込むと船はエンジン音を立てながら波を切る ように進んでいく。  そのたびに、船は微妙に揺れた。 「この辺かな」  おじさんが言う。 「そうですね。そうしましょうか」  彼は答えて、釣りの道具を出し始めた。  おじさんも用意を始める。  彼はえさの箱を開けた。  中には何かの幼虫らしきものが入っている。  彼女はそれを見て顔をしかめた。 「キモっ」  2,3歩後ずさる。  それを見て彼は、ははっと笑った。  手でその幼虫を掴むと針に刺してゆく。  竿を両手で握り、ひゅっと手首を返した。  すると、さっきの幼虫がぽちゃりと水の中に沈んでいく。  釣り糸だけが水面からぴんと張られて出ていた。  幼虫が水の中に入ったことを確認してから彼女は彼の横に着く。 「どう? 釣れた?」 「まだだよ。待ってなくちゃいけないの。我慢強くね」  彼はそういいながら竿を握っている。  ふーんと彼女は水面を見つめた。  静かな波が絶え間なく船に当たっては消え、あったっては消えた。 「つれた?」  数分後彼女は聞く。 「まーだ」 「まだ?」 「まだだよ」  はぁと彼女は小さくため息をついた。  くるりと180度首の向きを変えた。 「おじさん釣れました?」 「そんなに早くはつれないよ」  はははとおじさんは笑う。  そうですか……と彼女は肩を落とした。  それから5分おきくらいに彼女は同じ質問をする。  帰ってくる返事はいつも同じだった。  そんな状態で2時間ほど経った。  2時間でつれたのはおじさんと彼を合わせて3匹。  彼女はもうぐったりとしていた。 「釣りはあたしには向いてないみたい……」 「お前は我慢がたりないんだよ。じっと待たなきゃ」 「無理だよ。そんなん言ったってさぁ」  彼女がぷぅっと膨れてみせる。  ふぐみたいだと彼は笑った。 「こうやって待ってるのがいいんだよ。ドキドキするだろ?」 「しないもん」 「よっぽど釣りに向いてないんだな」  ぷぅっと彼女はさらに膨れた。  それをみて彼はまた声を上げて笑う。 「あ、引いてるよ!」 「ホントだ。網、用意して」 「うん」  数ヶ月経った。  釣りはあの日以来、2人では行っていない。  だが、まだあの2人は続いていた。  お互いを信頼していた。  そして何より、お互いのことを一番に想っていた。  ある日のことだった。  彼女は彼の部屋へ来ていた。  そこで彼は彼女に微妙に元気がないことに気がついた。 「どうした? 何かあった?」  ベットに腰掛ける彼女の横に座り、肩に手を添える。  うん……と彼女は小さくうなずいた。 「話してみ?」 「うん……」  彼女はうつむいた。  ずっと黙っている。  彼は彼女の頭に手を乗せると、頭を自分の下に引き寄せた。 「何だよ?」 「うん……あのね。海外留学したい生徒をこないだ学校で募集してたの知ってる?」 「おう、知ってるよ」  ゆっくりと暗い口調で彼女は話し始める。  頭を愛しそうに彼は撫でた。  髪を指に絡めている。 「あれね、親に面接を受けさせられたの」 「そーなの?大変だったね」  うん。と彼女は呟くように返事をした。  彼の身をゆだねている。 「でね……面接に受かっちゃったの」 「え?」  彼女はがばっと彼の腕から離れた。  そして彼の顔をじっと見つめた。 「だから、こっちに来る留学生の変わりに、あたしが向こうに行かなくちゃいけなくなったの」  じっと彼の目を見た。  彼は随分と長い間黙り込んだ。 「良かったね」  にこっと彼は笑った。 「は?」  彼女は眉間に皺を寄せる。  それとは裏腹に、顔の力をすべて緩めたような顔で彼は言った。 「だってお前、外国で働くのが夢なんだろ? いい機会じゃん。」 「そうだけど……」  彼女はぎゅっと唇を緩めた。 「一年も向こうに行けるんだろ?このチャンスを逃したら勿体無いって」  彼は彼女の方を両手で握った。 「がんばれよ」  彼女はうつむいた。 「……ばか」 「あ?」  拳を強く握り締めて彼女は言った。 「あたしが遠くに行っても良いわけ? 一年も会えなくて良いわけ?」 「そうじゃねぇよ。ただ、俺は良いチャンスだなって思って……」  彼女の長い髪は乱れている。 「もういいっ。行くよ。一人で行ってきます」  彼女は荒々しく立ち上がり、早歩きで歩き出した。  部屋の扉のドアノブに手をかけた。 「俺、待ってるから。一年でも二年でも。俺、待ってるから」  彼女は首だけ振り返り、彼を睨んだ。 「無理しなくていいし。……さようなら」  ドアノブを回した。  勢いよく扉を開ける。 「待ってる。絶対」  部屋を出て、扉を勢い欲閉めた。  閉めるときに少しだけ、彼の姿を見た。  彼はずっとこっちを見つめていた。  優しい顔で。  彼女はアメリカへ旅立った。  日本には変わりにジェニファーという金髪の女の子がやってきた。  その子が随分日本語を覚えた頃には、ほとんどの人が彼女のことを忘れていた。  月日はあっという間にたっていく。  ジェニファーは日本の四季に感動し、いろんなものを見て学んで。  そしてアメリカへ帰っていった。  周りの友人に少しばかりの英語の知識を残して。  夕暮れが近づき日も傾き始めた頃だった。  山は赤く色づき、海は穏やかに波を返す。  赤い空が町全体を包んだとき彼はじっと部屋の中にいた。  ぼぉっと遠くを見つめるように空を仰いだ。  その空気を変えるように玄関のチャイムが鳴った。  今、家には誰もいない。  ゆっくりと立ち上がると玄関の扉を開く。 「おかえり」 「ただいま」  よく知ってる人だった。  何度も聞いた声だった。 「おかえり」  彼はもう一度そう呟いた。 「ただいま」  胸に刻み込んだ笑みだった。 「早く、入りなよ」  彼が中に誘う。  こくりとうなずくと言われたとおりに彼の部屋へと進んでいく。  彼は後からその姿を追いかけてパタンと自分の部屋のドアを閉めた。 「変わってないね」  ぐるりと部屋を見回して鞄を床に置いた。  懐かしむように、部屋にあったひとつひとつを手に取っていく。 「座れば?」  ベットの上に彼が先に座った。  その隣にゆっくりと腰をかける。  そしてそっと口を開いた。 「ほんとはね。誰か女の子がいるんじゃないかって不安だったんだ。あたしのこと忘れてるんじゃないかって」 「んなわけないって」  彼は細い肩を抱いた。 「待ってるって言ったでしょ」 「でも一年だよ?」  彼に頬を寄せた。  ふっと彼は笑う。 「待つのには慣れてるからね。待ってるのがいいんだよ。ドキドキするだろ?」 「……うん」  呟くように小さく小さく彼女はうなずいた。  ぼぅっとする彼女の目にぱっと飛び込んで来たものが部屋の角にあった。 「ねぇ、今度また一緒に釣り行こうよ」  隅にあったのは釣り道具一式。 「でもまた退屈するんじゃね?」 「大丈夫だよ。あたしだって我慢できるってば」  ぽんと彼女の肩を叩いて彼は立ち上がった。 「じゃ、行くか」 「うん」  大海原に赤い糸を垂らした彼は、とても大きな魚を釣り上げた。  何よりも大切でかけがえのない魚を。 分かりにくいかなぁ……。
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送