君のくつ

 君と喧嘩してから4日。君が僕の部屋を出て行ってから4日。  僕は1人、広い部屋を掃除していた。  君の物と僕の物、一緒になったこの部屋を片付けるために。  クローゼットの奥から、僕が今履いているスニーカーの箱が出てきて手に取った。  重い。でも片手で持てるくらいの重さだ。  蓋を開けるとそこには君のくつ。  あの日、桜の下の君が久しぶりね。と僕に笑った。  君と出かけたのは今年の4月。  一緒にお花見でもしようよ、なんて君が言うもんだから2人して公園へ出かけた。  思ったより人が多いと愚痴をこぼした僕に君は笑顔を見せた。 「でもキレイだよ」  人ごみの中で君だけがリアルだった。  僕の肩に手を近づけて、君は嬉しそうに。 「ほら。乗ってる」  君の白いコートにだって。ピンク色が冴えている。  手にした花びらを舞い上がらせて、それが落ちるのを見届けるともっと向こうに行こうと君は言った。  桃色を背負った君の背が愛しい。  あの日には帰れない。  僕は帰るくつを持ってない。  箱の中のくつを手にして持ち上げた。  するとサラサラと乾いた土が落ちる。あわてて箱の中に戻すと踵にたくさん土がついているのが見えた。  あぁ、この土は。  傾いた日が窓から差し込み、君のくつを照らしだしたときここまでおいで。と呼ばれた。  踵の土を落とせずにやっぱり僕はあの日の君に手を引かれる。  僕は雨の中を歩いていた。  午前中まで晴れていたのに急に冷たい雨が叩きつけ、花弁と花見客を散らす。  予報外れの雨だった。  僕は帰路につく人の流れに逆らっていた。  人はたくさんいるのに君がいない。  桜を嬉しそうに眺めていた君がいない。  地面はぬかるんで、落ちた花弁は美しい姿を忘れた。  踏み出す度に泥が跳ねる。  広い公園で君の姿は見つからない。  僕は公衆トイレの屋根の下に体を入れた。急に寒気を感じた。  人の流れをただ見つめて。  1つのビニールシートの中で体を寄せ合うカップルとか、手をしっかり握って走る親子とか。  みんな同じ方向に向かっていた。僕だけは立ち尽くしていた。  ワックスで立てたはずの髪に力はなく、冷たい雫を垂らした。  僕は半ば諦めていた。君が先に帰っているのかもしれないと思った。  ケータイを開いても君からの着信はない。  足元を見ると、くつとジーパンの裾が汚れていた。  このくつ、気に入っていたのに。とため息。  最悪と小さく声をだした。 「居た」  大きな声がして僕が顔を上げると、びしょ濡れになった君がこっちに走ってくる。  ワックスで膨らませたはずの君の髪はペタンとしていた。  血色のいい肌も唇もすべて洗い流されていた。  僕も走る。  君は勢いに任せて僕に抱きついた。 「足跡を見つけたの。変わった跡だったから絶対それだと思って追いかけて」  興奮して早口になっている。  嬉しそうにまた僕を抱きしめた。  僕は自分の足元を見る。  確かに。ぼくのくつがつける足跡は少し変わっている。  と同時に君のくつを見ると、おんなじに泥だらけだった。  それでも君は笑ってた。僕と違って。 「帰ろっか」  君は言って僕は頷く。  2人で手を繋いで歩いた。  数分歩くと雨は弱まってそのうち止んだ。  帰り道、君は少し黙った後僕に言った。 「気づいてた? そのくつの足音変わってるんだよ」  僕の靴を指差す。 「コンクリートの上だと大きな足音がする」  僕は黙って耳を澄ます。  そう? って僕が首を傾げると 「何で分かんないの?」  と君は不満そうに言ったけど笑ってる。  君は急に小さな声になって僕の手を強く握る。 「早く帰らないと風邪ひくかな?」  君の手は冷たい。  2人で帰り道を急いだ。  やっぱり僕らは帰れない。  戻ることはできない。  そのためのくつがない。  箱の蓋をもう1度閉めて僕は箱を手に取った。  あの日に 帰れそうな 戻れそうな くつは  その箱を床に置いて、汚い部屋をそのままに財布だけ握って出かけた。  僕が選んだよ。君のくつを。  こんなの嫌だと言われるかもしれないけど。  足跡も足音も変わっているくつ。  迷っても、離れ離れになっても、もう困らない。  そんなくつを。 平川地一丁目の「君のくつ」より。
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