静寂
都内に、ある豪邸があった。
外装は際立って白い。
庭に綺麗に植えられた四季折々の花々によってその白はさらに映えていた。
家の中はまるでモデルハウスのように片付いていた。
床は家具が写るほど綺麗である。
この家の住人はたった一人。
清潔感あふれる服を着て、整えられた髪型。
いかにも紳士という感じの男。
それが古見隆義であった。
歳はさほど歳を食っているようには見えない。
すらりとした体つきに黒々とした髪。
顔はパーツが綺麗に整えられ、そこそこに美形ではあった。
彼は日がな一日を家の中で過ごす。
そのせいで、彼は近所の住民に疑われていた。
豪邸はもちろん借家などではない。
彼の私物であり、彼が購入したものである。
そうでありながら誰も彼が働いているところを見たことがない。
誰も彼の職業を知らないので当たり前のことである。
彼の職業は一言で言えば探偵である。
探偵といってもそこらの無名で安っぽい探偵ではない。
社長、会長、その夫人など財産をもっているものたちばかりを相手にした探偵である。
一回に入ってくる収入も半端ではない。
それはもちろん、仕事の出来が良く、信頼されているからだろうが。
彼が調査する内容はだいたい決まっている。
浮気調査やライバル会社の調査などが多い。
慎重に、誰にも気づかれずにやることが出来るので“そういう”世界では有名なのである。
少なくても月に一度は彼の元に口コミで噂を聞いた依頼者が現れる。
すべては内密に行われる。
「奥さん、調査は終了しました」
「本当に約束どおりですのね」
彼が信頼される理由に一つ。
期限を確実に守るというところにある。
会社にはスピードが重要である。
彼は、相手に指定されればその期限内に必ずやりとげる男である。
「単刀直入に言います。奥さん、旦那さんは他の女性と関係を持っています。」
机をはさんで前に座っている、おとなしそうな婦人に彼は言った。
婦人はまぁと小さく声を上げた。
「写真を、見ますか?」
「いえ結構です」
婦人は首を横に降った。
もう40近いであろうというのにどこかまだ若々しい雰囲気があるのは仕草のせいだと彼は思った。
婦人は黙ったまま部屋の大きな窓を見つめた。
そこからは庭が見える。
「綺麗ですね。あなたがやってらっしゃるの?」
意外な展開に重苦しかった雰囲気は壊れた。
「えぇ、まぁ趣味でして」
「ステキな趣味ですのね」
ありがとうございますと彼は返した。
庭からは柔らかな日差しが入り込んでくる。
婦人は少し悲しげな表情を浮かべた。
「……失礼かもしれませんが、何かありましたか?」
婦人はえっと小さく口を開いた。
少し黙り込んでゆっくりと重い口を開く。
「なんだかこうしている意味が分からなくなりましたの」
「どういう意味でしょうか?」
自分で用意した紅茶を彼は口に含んだ。
今までずっと庭に向けていた顔を古見に戻して婦人は薄い笑みを浮かべる。
どこか悲しげで、婦人を一回りも二回りも老けさせていた。
「なんといいますか…。こうやって高価な服で着飾って、あの人の帰りを待っているのが。
待ってもあの人は私を必要としていないのですもの」
彼女は冷めた紅茶を見下ろした。
ティーカップを持ち上げた。
静かに揺れる液体を見つめながら彼女は吐き出すように呟く。
「幸せはお金では買えないのね」
彼はずっと黙り込んでいる。
婦人は妙に明るい笑顔を見せた。
「なぜ、あなたはこんな仕事を?こんな家に1人で住んで寂しくないのかしら?」
古見は静かな口調で答えた。
淡々とまるで用意された台詞のように。
「私の幸せはお金さえあれば十分事足りますから」
婦人はまっすぐな瞳を古見にぶつけた。
何か言おうと思ったが言葉が出てこない。
彼はそれを感じ取ったかの用に話し出した。
「お金は何に対しても平等で裏切ることはありません。……決して、ね」
婦人は小さく、ため息にもとれる息を吐いた。
「……可哀想な人」
彼は微笑む。
「自分でもそう思います」
婦人は黙り込んだ。
今度は古見が庭に目をやった。
「そろそろ日が暮れますね」
庭に咲いた小さな薔薇の花がまるで赤の見本であるかの用に鮮やかに咲いている。
その葉が小さく揺れた。
「そろそろお暇しますわ」
彼が婦人に目を戻すと、婦人も庭に目をやっていた。
「必要とされてなくても、私はあの家で待っていなくてはいけない……」
紅く染まりかけた光を受けて、婦人の白い顔がオレンジ色になっている。
婦人は古見に顔を向けた。
「少なくとも、私はあの人を愛していますから」
ふわりと婦人は笑った。
今日、一番美しい表情だと彼は思った。
「そうですか。羨ましい限りです」
婦人は席を立った。
彼は婦人を玄関まで送っていった。
「お金は例の口座に振り込んでおけばいいのでしょう?」
「えぇ、よろしくお願いします」
彼は小さく頭を下げた。
婦人も、ではと軽く頭を下げると玄関を去っていった。
古見は小さくため息をついた後、紅茶を片付ける為に誰もいない部屋へ戻った。
静寂が豪邸ごと彼を包んだ。
この静寂に耐えられるからこそ、この職業を続けていけるのだと古見は誰ともなく呟いた。
かなり、勢いで書いてしまったもの。